伊豆・松崎の宿「大沢温泉ホテル」その2

2007年08月18日

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伊豆・松崎の宿「大沢温泉ホテル」その2


8月18日(土)

毎日同じ書き出しの、本当に暑い日が続きますね。今日も何か岐阜県多治見市では40℃を越したとかで、何か3日連続40℃を越したとか!。これはたまりませんね。
本当に皆様も熱中対策には十分な準備を・・・!

こちらでも今日も暑いのかな?
町内では子供祭りという地蔵盆が今日開催されます。この暑さでは公園でのいろいろな行事は大丈夫だろうか?
子供たよりもお世話をしてくれる役員さんたちの方が心配です。
我が家の下の娘も小学6年生になり、それほど楽しみでは無くなったようですが、幼稚園や小学校の低学年のころは、本当に楽しみにしていました。
子供の数が減りましたので、何時まで続くかな・・・・

ところで、今日の話題も帰省のときに寄った伊豆・松崎。宿泊の「大沢温泉ホテル」その2です。
「日本の原風景」として説明され、本当にそんなことを想像させてくれる宿でした。またまたですみません、引き伸ばしです(^。^;;



      
                        妻と娘2人が泊った部屋
                         和洋折中の部屋でした

      

      
                        部屋から見た中庭
       この中にはには7月には蛍が飛び交うとのことです。見たかったな!

      
                      食事どころから眺めた中庭

      
                               夕食

      
                               朝食

      
                    この当たりの名物の「ところてん」

      
                       自分で絞り出すのが楽しい

      
              和風だしで食べるところてんが美味しかったです。
   私、酢が少し苦手だったので嬉しかったです。この食べ方新鮮で美味しかったです。


ここからは、ホテルの印象
      

            

            

      

      

      

      
                昔はこの水車で電気を作っていたとのことです



おまけの一枚
下の娘が撮影したものです。
      
              娘の友達の小さなぬいぐるみの、子ねことアライグマが
                 部屋のお面を眺めているところだそうです。




「今日は何の日」

18日(土) 赤口 一白 [旧暦七月六日]

【高校野球記念日】
1915年(大正4年)のこの日、第1回中等学校野球大会が大阪・豊中球場にて開催されたことに由来します。各地域より10の代表校が参加し、選手の旅費 は主催の朝日新聞社が負担したとのことです。

【太閤忌】
1598年のこの日、豊臣秀吉が没しています。享年62歳。死の直前は錯乱状態に しばしば陥り、信長の亡霊におびえる毎日だったともいわれています。


伊豆・松崎の宿「大沢温泉ホテル」

2007年08月17日

Posted by すー at 05:32 Comments( 18 ) TrackBack( 0 ) 旅行
伊豆・松崎の宿「大沢温泉ホテル」


8月17日(金)

本当に暑い日が続きますね。何か40.9℃で国内最高気温を記録したとか。この最高気温は日陰での気温になりますので、アスファルト道路の上では何度になったのでしょうか?。45℃は超えたでしょうね。
妻の実家のお墓参りも15日の夕方からいってきましたが、日が西に傾いたというのに、家族揃って汗びっしょりでした。いつもは、行き帰りとも歩くのですが、さすがに今回は行くときにはバスに乗り、帰りだけ歩いて帰りました。
こちら京都でも最高気温が38℃を超えたとか、猛暑というより酷暑それも、超酷暑の連日、皆様もb熱中症にはお気をつけ下さい。

ところで、今日の話題は、このところ続いています。帰省のときに寄った伊豆・松崎です。
8月10日の晩は、ここ「大沢温泉ホテル」に宿泊させていただきました。
ここ、「大沢温泉ホテル」は、文化財の庄屋屋敷(依田家)をその雰囲気を壊さないように温泉ホテルに改造したところでした。「日本の原風景」として説明されていました。
その雰囲気に入り口を入った途端に、これまた江戸時代にタイプスリップした雰囲気に家族揃って大興奮!。
これまた、テンション最高潮です。
まるで、「大沢温泉ホテル」のパンフレット状態ですが、少しお付き合いください。決して「大沢温泉ホテル」の回し者ではありません。本当は家族が写っている写真の方がどんなテンションか判りやすいのですが、それは秘密なので・・・・。今日は建物中心にご紹介します。

      
      約150年から300年の月日を経た、重厚な庄屋屋敷の入り口の外観

      

       

      

      
                    土造りの風情がやさしい庄屋土間とフロント。
和の風情が漂う、障子の引き戸をくぐると、そこは遥か昔の日本を感じさせてくれる空間。ロービーを兼ねた土間。そして見事に磨き上げられた、見事な大黒柱。そんな玄関に入った途端に異次元の世界!

      
                           玄関先のロビー

      

      
                         ロビーから続く廊下

            
                       和を感じさせてくれる階段

            
                客室として利用されている元蔵(?)の屋根

      
                         中庭に続く廊下

      
                        ナマコ壁の外観

      
              ここは、夜のバーと昔の道具等の展示室

      

      
                        大浴場に続く廊下
            池ではカエルが鳴き、渡り廊下にもトンボの姿が

      
           屋上の満天の湯も最高でした。朝5時の一番に入浴







「今日は何の日」

17日(金) 大安 二黒 [旧暦七月五日]

【蕃山忌】
江戸時代の陽明学者、熊沢蕃山(くまざわばんざん)の命日です。儒教の経典に『孝経』があるが、彼はこれの注釈書『考経小解(こうきょうしょうかい)』を記した人物です。

【インドネシア独立記念日】
1945年(昭和20年)のこの日、インドネシアのスカルノが独立宣言しています。
首都はジャカルタ。

伊豆・松崎・漆喰の町並み

2007年08月15日

Posted by すー at 04:33 Comments( 13 ) TrackBack( 0 ) 旅行
伊豆・松崎・漆喰の町並み

8月15日 終戦記念日です。忘れてはならない日。二度とあの不幸な出来事が無いことをこころから祈ります。どうしても、このコメントは入れたかったので・・・・^^;

今日も昨日の続きの西伊豆旅行です。
このところ観光旅行のパンフレットのようですね。すみません。

松崎町は、ところどころになまこ壁がみられ、江戸時代の風情を今に残す町並みを8月10日に散策。
ここは、昨日紹介した、漆喰(しっくい)細工であるこて絵の創始者、入江長八(1815-1889)の出身地としても知られているところで、なまこ壁の町として町おこしを頑張っています。
 町の中心を流れる那賀川沿いに進むと、川を隔てた両側になまこ壁の建物がいくつも目に留まります。

土蔵や塀などに白い菱形(ひしがた)文様がくっきりと浮かび上がり、江戸時代にタイムスリップしたかの錯覚に陥ります。夏休みの期間でもあるが、人影もまばらで、ゆったりとした静かな時間が流れています。その中で、大きな笑い声や話し声であたりの静けさを破る一団が私たち家族です。^^;
 なまこ壁は瓦のつなぎ目を漆喰(しっくい)で固めたものになります。漆喰の型がナマコに似ているこ
とからこの名がついたようですね。松崎には旧家が多く、町内だけでなまこ壁は二百八カ所残っているといわれています。

【漆喰とは】
海藻の角又を煮つめ糊を造り消石灰または貝灰を入れ、そこにスサを加え練り上げたもの。糊は漆喰の保水性をよくし、接着効果・施工性を高めるために用い、スサは亀裂防止のためつなぎとして混入する。
《糊》乾燥させた角又(つのまた)などの海藻を煮つめて作る
《スサ》繊維質の材料(麻・藁・紙など)


      
                            なまこ壁の蔵
なまこ壁は、瓦を漆喰でつなぎ固めたもので、火災予防・盗難予防、保温・保湿・防虫の目的で作られ主に蔵に利用されているようです。

      

      


      
                          なまこ壁の観光協会

      
               なまこ壁をあしらった欄干がある「ときわ大橋」

      
                   明治期の呉服問屋である中瀬邸
        外壁一面がなまこ壁で彩られ、何とも荘厳というか圧巻でした

      

      

      

      
                       那賀川沿いナマコ壁の家々

      

      



なまこ壁、こんなのも見かけました。

      
                             四半張り

      
これは何というのかな?


追伸:今晩は、大山崎町のおばあちゃんのところに泊まり、明日は朝一で御墓参りの予定です。
そのため、明日のblogもまたまたお休みです。



「今日は何の日」

15日(水) 先負 四緑 [旧暦七月三日]

【終戦記念日】
1945年(昭和20年)の8月15日、天皇により太平洋戦争終結放送がなされ3年8ヵ月に及んだ太平洋戦争が終わりました。この放送内容の原本は国立公文書館に保存されているとのことです。

【聖母(聖マリア)被昇天祭】
イエス・キリストの母マリアが人間としての原罪をもたず、死後は肉体のままこの日に昇天したとされているのを記念する日。
テントウ虫は、イギリスでは太陽に向かって飛び立つ(昇っていく)姿から「レディバード(聖母マリアの
虫)」と呼ばれ、日本でも漢字で「天道虫」と書きます。

【光復節】
1945年(昭和20年)のこの日、韓国が日本の植民地支配から解放されました。
また、1948年(昭和23年)のこの日に大韓民国政府が樹立されています。

伊豆・松崎(長八美術館と岩科学校)

2007年08月14日

Posted by すー at 04:17 Comments( 9 ) TrackBack( 0 ) 旅行
伊豆・松崎(長八美術館と岩科学校)


8月14日(火)
一昨日、ふるさとからもどり、昨日は仕事でした。ふるさとの静岡も結構な暑さでしたが、湿度が低いためか、日向の暑さはさほど変わらないかな(でも、最高気温は大分違うが)?と思っても、静岡では日陰に入ると結構涼しく感じました。ここが、京都の蒸し暑さのと大きな違いなのでしょうね。
さて、これから少しの間、ふるさとに戻った時の話題でblogをにぎわす予定です。ま~ネタも少ないし引き伸ばし作戦のようなところもありますが^^;

さて、今日の紹介は、伊豆・松崎の長八美術館と岩科(いわしな)学校です。

鏝(こて)と漆喰(しっく)いの芸術家 伊豆の長八美術館
江戸時代に活躍し、伊豆の長八と言われた松崎出身の入江長八は、鏝と漆喰の芸術家として有名です。長八の漆喰鏝絵は西洋のフレスコに勝るとも劣らない壁画芸術として、高く評価されているそうです。

 入江長八は、文化12年(明治維新の53年前)松崎に生まれ、12才で左官職人となり19才で江戸を出て左官の修行をつみますが、一方で谷文晁の高弟の喜多武清という狩野派の画家の下で3年間絵も学び、江戸から明治にかけて活躍し左官の名工と言われた方です。

入江長八の漆喰鏝絵(しっくいこてえ)は、次のように説明されていました。
 漆喰鏝絵(しっくいこてえ)とは、左官職人が鏝を使い、日本古来の建築素材である漆喰をレリーフ状に盛り上げ、民家の戸袋や壁、母屋や土蔵の妻壁や持ち送りに絵柄を塗り出したもので鏝絵には家内安全、火災除け、不老長寿といった施主の願いを見事に表現したものです。本来鏝絵は建物装飾から始まったものですが長八の鏝絵は、左官本来の鏝絵に絵具で彩色するという絵画の手法を取り入れて描かれたもので左官本来の建物装飾から額縁、塑像、掛軸にまでおよび、明治22年に亡くなるまでに数多くの漆喰鏝絵を残しています。鏝絵は本来屋外に造られているものがほとんどですが、現存する長八作品多くは室内装飾が主で絵画的に室内に飾るという点からも彼の作品が絵画的要素を意識したものということが、こんなところからもうかがえます。

とされています。美術館の入り口で虫眼鏡を渡されその漆喰鏝絵を覗くと、絵は平面の絵と違い、漆喰を塗りあげた立体物であるので光の反射によってさまざまな陰影を生み出すので、その変化及びその細かさに家族揃って大きな歓声を上げてしまいました。

      

            

      

      
                    一部の拡大(本当に細かいです)
                     上の絵の女性の手元のお盆

      

      


次が岩科(いわしな)学校です。
重要文化財岩科学校は、なまこ壁をいかした社寺風建築様式とバルコニーなど洋風を取り入れた伊豆地区最古の小学校です。明治12年4月に着工、翌13年9月に完成を見た洋風デザインの印象的な建物で、日本では甲府の旧睦沢学校(明治8年)、松本の旧開智学校(明治9年)などに次ぐ古い物として知られています。平成4年11月に2年間の改修工事を終了し、明治13年の形に復元されています。

      

            

      

      

            

      

      
                            これも長八作

      
                            これも長八作

      

      
                              千羽鶴
入江長八の傑作「千羽鶴」階上客室の西の間は日本間で、作法や裁縫の授業にも利用されていたとのことです。床の間はのぼる太陽を表現して紅の壁、脇床には緑を配して松を表現しているとのこと。欄間には名工入江長八によってほどこされた千羽鶴が一羽一羽形を変えて描かれており、まるで壁面より抜け出てくるかのように日の出を目指して飛翔する姿が見られます。この千羽鶴は美濃紙を口に含みぬらし、鏝板の上で漆喰と混ぜ合わせて肉付けし、仕上げたものとのことです。





「今日は何の日」

14日(火) 友引 五黄 [旧暦七月二日]

【特許の日】
1885年(明治18年)のこの日、日本で最初の専売特許が免許されたことにちなんで。栄誉ある日本の特許第1号は、東京の京橋に住む「堀田瑞松」さんの発明した錆止め塗料とその塗り方に与えられました。
ちなみに、早口言葉でよく使われる「東京特許許可局」は実在せず、実際に特許の手続きを行っているのは「特許庁」である。

ふるさとから戻りました(旧天城トンネル)

2007年08月13日

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ふるさとから戻りました(旧天城トンネル)


8月13日(月)

昨日(8/12)ふるさとから戻りました。
両親とも元気でした。この様子ならしばらくはまだ元気一杯に暮らしてくれると思います。本当にありがたいことです。兄にも大変お世話になりました。
今回も、兄の案内で、伊豆半島を観光させていただきました。計画から伊豆での宿泊代まですべてお世話になってしまいました。普段、自家用車に乗ることがない子供達は酔い止めを飲みながらも、普段味わえない雰囲気を楽しんでいました。兄が手配してくれたお宿には家族揃って感動でした。メチャテンションが上がりました。その様子はまた整理が出来次第に、伊豆の様子と共にお知らせしますね。
兄貴には本当にお世話になりっぱなしで!。2泊3日でしたが、本当に子供達のよい思い出となりました。

写真の整理がつきませんので、とりあえず最初に訪れた「旧天城トンネル」の紹介です。

旧天城トンネル
川端康成の小説『伊豆の踊り子』や、松本清張の小説『天城越え』で有名なこのトンネルは、工事期間 明治33年~明治37年(1904年)、工事費 10万3016円44銭1厘をかけて完成したものです。全長445.5m、幅 4.1m、高 さ 4.2m 。アーチや側面などすべて切り石で建造され、石造道路トンネルとしては、日本に現存する最長のものとのことです。天城トンネルは1998年、国の登録有形文化財に登録され、2001年には道路トンネルとしては初めて国の重要文化財に指定されています。日本の道100選にも選ばれていいます。1970年、新天城トンネルの完成によって、現在は森の中に静かなたたずまいを見せ、旧天城トンネルと呼ばれています。

      

      

      



おまけの一枚
棚田に射す夕日も綺麗
      




「今日は何の日」

13日(月) 先勝 六白 [旧暦七月一日・朔]

【函館夜景の日】
1991年(平成3年)のこの日、美しい夜景の街への愛着を高めることをねらって制定されたものです。夜(ヤ)の「8」と景(ケイ)はトランプの「K」で「13」という理由から。ちなみに函館港は1859年に結ばれた日米修好通商条約により、横浜港、長崎港と並んで日本で始めて指定された貿易港ですね。

娘の作品とシロツメグサ(何の関連もありません)

2007年06月14日

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娘の作品とシロツメグサ(何の関連もありません)


6月14日(木)

昨日(6/13)は雨の前の蒸し暑さで体がだるいですね。
ところで、また本日から歯医者通いをスタートさせました。いつも一番に影響の出る歯に少しだけ違和感がありますので、今回は早めの行動ということで!。
歯医者の診察の再開はまず、歯のレントゲン撮影からです。毎回、歯の状態を確認することからスタート。そしてその次が歯周ポケットの深さの確認になります。これが結構ちくちくと痛いです。歯と歯茎の間に器具を刺しどれだけ深く入るかのテストなのです。聞いただけでも痛そうでしょう?都合2,990円の支払い3割負担なんだから・・・・・・!

いよいよ、入梅でしょうか?朝から雨がしとしとと降っています。今日はオープンカーはカッパで


ところで今日の話題は、まったく関係のない2つの「娘の作品とシロツメグサ」です。

まず、小学6年生になった娘の作品になります。
折り紙による切り絵になり、男の子、女の子の輪です。男の子、女の子に見えましたか?どこに注目するかにより違うものに見えますね。
何でこんなものを作ったのかはナゾですが?

    


次の紹介が「シロツメグサ」です。

シロツメグサ
マメ科( ジャジクソウ属 ) : 多年草
別名クローバとも呼ばれ はじめは牧草として栽培された後,野生化し広まった。茎は地をはってのびるそうです。
葉のわきから長い柄を出して先端に白色の蝶形花をつけます。
この花を集めて花輪を作ったり、どこまで長く出来るかと長い縄のように編んで遊んだ記憶があります。

            

      

      



「今日は何の日」

14日(木) 友引 三碧 [旧暦四月二十九日]

【日記の日】
1942年(昭和17年)のこの日、世界中でベストセラーとなったアンネ・フランクの『アンネの日記』が書き始められたことに由来しています。

【星条旗制定記念日】
1777年のこの日、アメリカ合衆国議会が独立宣言時の13州を赤白のストライプで象徴した星条旗をアメリカ国旗と制定しています。

【五輪旗制定記念日】
1914年(大正3年)のこの日、パリで開かれたオリンピック委員会で五輪旗が決定された。オリンピック復興20周年記念祭のためピエール・ド・クーベルタン男爵が考案したもの。五輪には五大陸の協調を、との意味が込められています。この話は有名ですね。

【札幌まつり、北海道神宮例祭】(~16日)
明治時代に北海道開拓を意図し、開拓三神が祀られた北海道神宮例祭。
山車が市中を巡行し、舞や神楽が奉納されます。
1871年(明治4年)の造営当時は札幌神社の名称でしたが、1964年(昭和39年)に現在の名称に改められたとのことです。

帰省時の思い出(沼津・大瀬崎)

2007年01月13日

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1月13日(土)

 昨日(1/12)は、新年会でした。例年、会社の忘年会は忙しいので無しで新年会となります。
ということで、昨日は電車通勤でした。電車の中で大きな声でしゃべり倒す、中年のおばさん二人、本当にうるさかったです。どうして、少しの休みも無くしゃべり続けることができるのか、どうして、あんなどうでもいいこを、興奮気味でしゃべり続けることができるのか、不思議でした。同じ人間とはとても思えませんね。エイリアンをみる思いでした。

 何てことは、さておき、今日の話題にします。このところ2日ほど続けています、帰省の時に見学した記録の最終回です。 昨年の12月31日に、大瀬崎に行ってきたものです。
 大瀬崎は、伊豆半島の西側北端、駿河湾に1kmあまり突き出して内浦湾を抱く砂嘴状の岬になります。松林に覆われた岬には海の守り神である大瀬神社が祀られ、ハマユウや天然記念物の曲がりくねったビャクシンが群生する中、岬を一周する遊歩道が付けられています。波静かな岬の内側は絶好の海水浴場で、夏は家族連れの訪れも多く、海の家やキャンプ場が開設されたりします。また、岬を前景とした富士山の眺めの良さで知られ、今回行ったときも本当に綺麗な富士山を見ることができました。また、ダイビングのメッカとしても有名ですね。行った時も、大勢のダイバーたちがいましたね。

      
                   大瀬崎(富士山をバックにした大瀬崎)

引手力命神社(大瀬神社)
4月4日には海神を祭った大瀬神社の祭典、大瀬祭りが行われ、付近の漁船が踊りながら集まります。

            
                          大瀬崎(大瀬崎神社)

           
                          大瀬崎(大瀬崎神社)


駿河湾をはさみ富士山を望むことの出来る景勝地の大瀬崎

      
                            大瀬崎(外海)

            
                             大瀬崎(外海)

            
                             大瀬崎(外海)


大瀬明神の神池おせみょうじんのかみいけ)は、大瀬崎の、引手力命神社(大瀬神社)の境内にある禊の池。
神池は大瀬崎の先端に位置し、海から最も近いところでは10m程しかなく、海が荒れた日には海水が吹き込むにもかかわらず淡水池でありコイ、フナやナマズなどの淡水魚が多数生息しています。 このため、伊豆七不思議の一つに数えられています。

伊豆の七不思議は、
この大瀬明神の神池(沼津市) の外は
堂ヶ島のゆるぎ橋(賀茂郡西伊豆町) 、石廊崎権現の帆柱(賀茂郡南伊豆町) 、手石の阿弥陀三尊(賀茂郡南伊豆町) 、河津の酒精進鳥精進(賀茂郡河津町) 、独鈷の湯(伊豆市修善寺) 、函南のこだま石(田方郡函南町)
と言われているとのことです。

    
         大瀬崎地図(地図帳でみるとよく判りますね。周りは海です。不思議ですね)

      
                            大瀬崎(神池)

            
                   大瀬崎(神池・確かに鯉が生息しているでしょ)

天然記念物の曲がりくねったビャクシンが群生し、不思議な世界を作っています。
・ビャクシン;ヒノキ科、カイズカイブキと同種、
・漢字は白槙、栢心、白心、白身、木舌、等
・樹齢;最高1500年約130本が群生し、古来より「伊豆日記」「豆州志稿」「伊豆志」等の古い文献にも老大木が群生していると特筆されています。
・昭和7年7月25日に国指定となっています。

      
                           大瀬崎(ビャクシン)

           
                          大瀬崎(ビャクシン)

            
                        大瀬崎(ご神木のビャクシン)

      
                        大瀬崎(ビャクシンの実)

数え切れないほどの酸素タンクが並んでいました。さすが、ダイバーのメッカですね。


      

      

            


「今日は何の日」

13日(土) 大安 八白 [旧暦十一月二十五日]

【ピース記念日】
1946年(昭和21年)のこの日、タバコの「ピース」が発売されたことにちなんで愛煙家が制定したものです。現在のものと同じく10本入りで発売され、当時の価格は7円とのことです。

【咸臨丸出航記念日】
1860年のこの日、江戸幕府の軍艦「咸臨丸」が日米修好通商条約を批准するために品川沖を出航したことにちなんでいます。勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎らが乗船し、サンフランシスコへ。

【初虚空蔵】
毎月13日は虚空蔵菩薩の縁日であるが、年始のこの日のことを言いいます。

御殿場高原ビールのイルミネーション「時の栖(すみか)

2007年01月12日

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帰省時の思い出(御殿場高原ビールのイルミネーション「時の栖(すみか))
1月12日(金)

今日も、年末年始のふるさとの帰省時の話題です。
静岡駅で新幹線を途中下車して、兄貴の車で、登呂遺跡、日本平、久能山東照宮を見学の後は、御殿場近くまで、(今度は通り過ぎですね)行き、御殿場高原ビールのイルミネーション「時の栖(すみか)」の見学です。

17:00ごろに到着、まだ外は夕暮れが始まったところでしたが、既に点灯、見学者もかなりの人数です。
電球数は250万球、光の花びらで覆われ星が輝く340メートルのトンネルにはビックリです。何というスケールの大きさ。その他多くの電飾があり、感激です。

今年のテーマは、「愛」とのことです。
あの終戦の時から、わが国の歌謡界で最も優れた作品を多く世に送り出した丘灯至夫先生の詩「日本を愛す」が、時之栖の丘の上に石碑として建立されましたことから、「愛」をテーマになっているとのことです。
12月10日に除幕の世界最大のBellが時之栖の丘に登場し、その名も「愛の鐘」といたしたことから、「愛」がテーマになっているそうです。
家族感激の一日でした。兄貴、本当にありがとうございました。
まだ、やっているようです。
我々が帰る18:30ごろには、駐車場待ちの車の列です。もし行かれるのなら、17:00前に到着していないと待ち時間が多くなるようです。

*点灯期間 :2006年11月23日(木曜日)~2007年2月28日(水曜日)
*点灯時間 :日没~22時まで (1・2月の平日は21時まで)

      
                         長く続く光のトンネル

      
                           テーマは「愛」

      

            

            
                        世界最大のBell「愛の鐘」

            

            

      
                         夕焼けに染まる富士山



「今日は何の日」

12日(金) 仏滅 七赤 [旧暦十一月二十四日]

【稲荷の奉射祭(ぶしゃさい)】
京都の伏見稲荷神社にて、邪気を祓うために神矢を射る神事が行われます。矢の当たり方によって今年1年が占われます。


【スキー記念日】
1911年(明治44年)のこの日、新潟県高田の陸軍歩兵連隊においてオーストリアのレルヒ少佐が初めてスキー指導
したことによります。

帰省時の思い出(登呂遺跡、日本平、久能山東照宮)

2007年01月11日

Posted by すー at 04:41 Comments( 14 ) TrackBack( 0 ) 旅行
1月11日(木)

昨日は穏やかな一日でした。まだ、なんとなく調子がでません。いつものペースを早く取り戻さなくてはね!

 今日は、この年末年始に、私の生まれ故郷に帰って遊びに行った思い出の紹介です。
12月30日には、静岡駅で途中下車して、登呂遺跡、日本平、久能山東照宮に行ってきました。

 登呂遺跡(とろいせき)は、皆さん小学校の社会の教科書で見たことありませんか?。掲載されていたのは昔で今はのっていないのかな?もしかしたら・・!

 登呂遺跡は、弥生時代の集落・水田遺跡のひとつで、国指定特別史跡になります。弥生時代後期に属し、2、3世紀ごろの集落と推定されています。
遺跡は、太平洋戦争中の1943年、軍事工場建設の際発見され、戦後間もない1947年には考古学・人類学・地質学など各分野の学者が加わった日本で初めての総合的な発掘調査が行なわれ、8万平方メートルを超える水田跡や井戸の跡、竪穴式住居・高床式倉庫の遺構が見つかっています。この他にも、農耕や狩猟、漁労のための木製道具や火起こしの道具、占いに用いた骨などが出土しています。
       
                             竪穴式住居

      
                            竪穴式住居後

      
                             高床式倉庫

      
                          日本平からみた富士山
昨年から今年にかけての富士山は本当に綺麗に見えました。今年は良い年になるかな?、いやしたいですね。



久能山東照宮

 久能山は、推古天皇の御代(西紀600年頃)久能山忠仁は建立した久能寺があり、僧行基を始め多くの名僧等が往来し降盛を極めたが、山麓の失火により類焼し衰徴しました。
 のちに武田信玄公は、この要害の地の久能寺を廃し久能城を築きましたが、武田氏の滅亡により徳川氏の領有するところとなっています。
 その後、家康公は、大御所として駿府城に在城当時「久能城は駿府城の本丸と思う」といったほど久能山を重視したそうです。
 家康公没後、御遺言によりここに埋葬され、二代将軍秀忠公の命により社殿が御創建されました。
社殿は権現造、総漆塗、極彩色で、彫刻・模様・組物等は物山時代の建築様式を取り入れた、江戸時代初期の代表的な建物であり、楼門・鼓楼・神楽殿等の建造物と共に国の重要文化財に指定されています。
 また、久能山全域は、歴史的価値が高いところから国の史跡に指定されています。


ここまでするかというくらいに華やか?

      

      

      

      

      

      
        久能山から降りる階段(山城であったことが偲ばれますねこの階段は)

      
久能山と言ったら、石垣イチゴでしょう!。有名ですよね。知りませんか?どこまでも続くビニールハウスは石垣イチゴの栽培ハウスです。
いまごろは、イチゴ狩りのお客でにぎわっているでしょうね。1月1日からとのことでしたから。



「今日は何の日」

11日(木) 先負 六白 [旧暦十一月二十三日]

【鏡開き】
その年の年神さまに供えた鏡餅を小さく割り、お汁粉などにして食べる行事になります。元々は武家社会の行事で、具足開き(鎧や兜に供えた餅を雑煮などにして食べた)といったそうです。そのため、鏡餅は刃物で切ると切腹のようだと手や木槌で割り、開くようになったことから鏡割りでなく、鏡開きというそうです。

【蔵開き】
商売をする家では新年初めて蔵を開き、商売繁盛を祈る行事をこの日に行います。鏡開きのように鏡餅を割って食べます。

【厚生省発足記念日】
1938年(昭和13年)に国民の体力向上をはかるために厚生省が発足したことによります。2001年(平成13年)からは労働省と統合され「厚生労働省」としてスタートしています。

【塩の日】
1569年(永禄11年)に上杉謙信が宿敵武田信玄に塩を送り、「敵に塩を送る」という言葉のもとになっています。新潟県糸魚川市と長野県松本市を結ぶ「塩の道・千国街道」によって塩が運ばれました。