冬景色の修学院離宮
12月19日(水)
昨日(12/18)は、寒い一日でした。でも昼間は11℃まで、上がりましたので散歩にはそこそこの気温でした。
今日は、朝は会社で仕事をしてそれから、先週に再検査を受けそのときに栄養指導を受けるようにと申しつかった日になります。妻と病院で待ち合わせして、二人で聞いてきました。やはり、お酒は少なくとも半分に、休肝日も週2日、それと塩分をかなり減らすようにとの指示でした。そうだろうな!と思っていました。
食事事態はかなりバランス量も良いとのことでした。しかし、お酒の量とつまみがカロリーオーバーや体調不良の原因とのことです。でも、お酒は頑張った自分へのご褒美なので・・・(^o^)
でも、ここは少し量的な問題やつまみの種類などを考えます。
今日は、この病院に行くために、会社の仕事を早く片付けるために朝の7時には会社にいましたので、朝の更新が間に合いませんでした。ということで、午後の更新でした。
ということで、今日の話題は、15日に出かけた参観の二箇所目の「修学院離宮」です。
こちらは、さすがに京都でも北方面になりますので、紅葉は殆どというかまったく見ることが出来ませんでした。その上に建物としてのみどころである、中離宮が工事中で殆どみることができませんでした。
そんな、修学院離宮ですが・・・その雄大な姿がすてきでした。昔の貴族の力はすごがったですね。
修学院離宮について少しパンフレットよりご紹介
***************************************************
修学院離宮の歴史
修学院の名は、10世紀後半ここに修学院という寺が建立されたのが始まりであった。南北朝時代以後この寺は廃絶したが、地名は修学院村として残った。
修学院離宮は、桂離宮におくれること30余年、明暦元年から2年(西暦1655~1656年)にかけて後水尾上皇(こみずのおじょうこう)によって造営工事が起こされ、万治(まんじ)2年(1659年)に完成した山荘である。離宮の造営より早く上皇の第一皇女梅宮が得度(とくと)して、現在の中離宮付近の円照寺に草庵を結ばれていたが、早くから別荘としての適地を探しておられた上皇は円照寺を大和の八嶋に移し、上と下の二つからなる御茶屋を建設した。幕府との間に緊張が続いた時代であっただけに、短期間にこれほど大規模な山荘を造営し得たことは一つの驚異でもある。中の御茶屋は創建当時の山荘にはなかったものであるが、上皇の第八皇女光子内親王(朱宮)のために建てられた朱宮御所に東福門院(後水尾上皇の皇后、将軍徳川秀忠の娘和子)亡き後の女院御所の建物を一部移築して拡張した。上皇崩御の後、光子内親王は落飾得度してこれを林丘寺となされた。明治18年(1885年)林丘寺門跡から境内の半分が楽只軒(らくしけん)、客殿とともに宮内省に返還されたので、離宮に編入したものである。昭和39年(1964年)上・中・下の各離宮の間に展開する8万dに及ぶ水田畑地を買い上げて付属農地とし、景観保持の備えにも万全を期して今日に至っている。
概説
比叡山の麓、東山連峰の山裾に造られた修学院離宮は、上・中・下の三つの離宮(御茶屋)からなり、上離宮背後の山、借景となる山林、それに三つの離宮を連絡する松並木の道と両側に広がる田畑とで構成されている。総面積54万5千dを超える雄大な離宮である。明治期に宮内省の所管となるまでは離宮を囲む垣根も全周にはなく、自然に対して開放された山荘であった。
下離宮には、創建時では最大の建物の攣曲閣(わんきょくかく)があったが、比較的早い時期に失われ、今は南を庭園に囲まれた寿月観(じゅけつかん)が残っている。中離宮には、楽只軒と客殿があり、やはり南に庭がある。上離宮は、修学院離宮の本領であって、谷川をせき止め浴龍池(よくりゅうち)と呼ぶ大きな池を中心にすえた回遊式庭園となっている。その浴龍池を一望におさめる東南の高みには隣雲亭、中島に窮遽亭がある。山麓に広がる離宮のため上と下の離宮の標高差は40m近くあり、大小の滝に加え水流の早い小川もあり、どこにいても絶えず水の音を聴くことができる。昔は畦道にすぎなかった松並木から眺める風景もまたすばらしい。
京都御所、京都大宮御所、仙洞御所、桂離宮とともに皇室用財産(国有財産)として宮内庁が管理している。
*****************************************************

まずは、修学院離宮のみどころの「浴龍池(よくりゅういけ)」です。

下離宮「寿月観(じゅげつかん)」



借景のお山

下、中、上離宮をつなぐ松並木

大刈り込み
この刈り込みで人工池の石垣を隠しています

離宮内の柿

隣雲亭(りんうんてい)からの眺め

隣雲亭からの眺めを楽しむ参観者

浴龍池にかかる千歳橋

窮遽亭(きゅうすいてい)



浴龍池

★おまけの1枚
離宮のこんな景色も冬を感じさせてくれました。

「今日は何の日」
19日(水) 友引 六白 [旧暦十一月十日]
【仏名会(ぶつみょうえ) 】
774年、清涼殿に僧を召して行われたのが始まりで「御仏名」「仏名懺悔」ともいう。仏の名前をとなえ罪を清めることを目的とした法要です。
845年に宮中の恒例行事となっています。すす払いは家の掃除、仏名会は心の掃除といわれるます。
12月19日(水)
昨日(12/18)は、寒い一日でした。でも昼間は11℃まで、上がりましたので散歩にはそこそこの気温でした。
今日は、朝は会社で仕事をしてそれから、先週に再検査を受けそのときに栄養指導を受けるようにと申しつかった日になります。妻と病院で待ち合わせして、二人で聞いてきました。やはり、お酒は少なくとも半分に、休肝日も週2日、それと塩分をかなり減らすようにとの指示でした。そうだろうな!と思っていました。
食事事態はかなりバランス量も良いとのことでした。しかし、お酒の量とつまみがカロリーオーバーや体調不良の原因とのことです。でも、お酒は頑張った自分へのご褒美なので・・・(^o^)
でも、ここは少し量的な問題やつまみの種類などを考えます。
今日は、この病院に行くために、会社の仕事を早く片付けるために朝の7時には会社にいましたので、朝の更新が間に合いませんでした。ということで、午後の更新でした。
ということで、今日の話題は、15日に出かけた参観の二箇所目の「修学院離宮」です。
こちらは、さすがに京都でも北方面になりますので、紅葉は殆どというかまったく見ることが出来ませんでした。その上に建物としてのみどころである、中離宮が工事中で殆どみることができませんでした。
そんな、修学院離宮ですが・・・その雄大な姿がすてきでした。昔の貴族の力はすごがったですね。
修学院離宮について少しパンフレットよりご紹介
***************************************************
修学院離宮の歴史
修学院の名は、10世紀後半ここに修学院という寺が建立されたのが始まりであった。南北朝時代以後この寺は廃絶したが、地名は修学院村として残った。
修学院離宮は、桂離宮におくれること30余年、明暦元年から2年(西暦1655~1656年)にかけて後水尾上皇(こみずのおじょうこう)によって造営工事が起こされ、万治(まんじ)2年(1659年)に完成した山荘である。離宮の造営より早く上皇の第一皇女梅宮が得度(とくと)して、現在の中離宮付近の円照寺に草庵を結ばれていたが、早くから別荘としての適地を探しておられた上皇は円照寺を大和の八嶋に移し、上と下の二つからなる御茶屋を建設した。幕府との間に緊張が続いた時代であっただけに、短期間にこれほど大規模な山荘を造営し得たことは一つの驚異でもある。中の御茶屋は創建当時の山荘にはなかったものであるが、上皇の第八皇女光子内親王(朱宮)のために建てられた朱宮御所に東福門院(後水尾上皇の皇后、将軍徳川秀忠の娘和子)亡き後の女院御所の建物を一部移築して拡張した。上皇崩御の後、光子内親王は落飾得度してこれを林丘寺となされた。明治18年(1885年)林丘寺門跡から境内の半分が楽只軒(らくしけん)、客殿とともに宮内省に返還されたので、離宮に編入したものである。昭和39年(1964年)上・中・下の各離宮の間に展開する8万dに及ぶ水田畑地を買い上げて付属農地とし、景観保持の備えにも万全を期して今日に至っている。
概説
比叡山の麓、東山連峰の山裾に造られた修学院離宮は、上・中・下の三つの離宮(御茶屋)からなり、上離宮背後の山、借景となる山林、それに三つの離宮を連絡する松並木の道と両側に広がる田畑とで構成されている。総面積54万5千dを超える雄大な離宮である。明治期に宮内省の所管となるまでは離宮を囲む垣根も全周にはなく、自然に対して開放された山荘であった。
下離宮には、創建時では最大の建物の攣曲閣(わんきょくかく)があったが、比較的早い時期に失われ、今は南を庭園に囲まれた寿月観(じゅけつかん)が残っている。中離宮には、楽只軒と客殿があり、やはり南に庭がある。上離宮は、修学院離宮の本領であって、谷川をせき止め浴龍池(よくりゅうち)と呼ぶ大きな池を中心にすえた回遊式庭園となっている。その浴龍池を一望におさめる東南の高みには隣雲亭、中島に窮遽亭がある。山麓に広がる離宮のため上と下の離宮の標高差は40m近くあり、大小の滝に加え水流の早い小川もあり、どこにいても絶えず水の音を聴くことができる。昔は畦道にすぎなかった松並木から眺める風景もまたすばらしい。
京都御所、京都大宮御所、仙洞御所、桂離宮とともに皇室用財産(国有財産)として宮内庁が管理している。
*****************************************************

まずは、修学院離宮のみどころの「浴龍池(よくりゅういけ)」です。

下離宮「寿月観(じゅげつかん)」



借景のお山

下、中、上離宮をつなぐ松並木

大刈り込み
この刈り込みで人工池の石垣を隠しています

離宮内の柿

隣雲亭(りんうんてい)からの眺め

隣雲亭からの眺めを楽しむ参観者

浴龍池にかかる千歳橋

窮遽亭(きゅうすいてい)



浴龍池

★おまけの1枚
離宮のこんな景色も冬を感じさせてくれました。

「今日は何の日」
19日(水) 友引 六白 [旧暦十一月十日]
【仏名会(ぶつみょうえ) 】
774年、清涼殿に僧を召して行われたのが始まりで「御仏名」「仏名懺悔」ともいう。仏の名前をとなえ罪を清めることを目的とした法要です。
845年に宮中の恒例行事となっています。すす払いは家の掃除、仏名会は心の掃除といわれるます。
この記事へのコメント
こんばんは。
今日は昼からの更新ですね。
私も朝になるまで気づかなかったです。
この頃、寝しなに処方された薬がちょっと効きすぎかも。
のどが慢性的に腫れているのです。筋肉を緩める薬が眠くなる。
すーさんは、食事を気をつけなければいけないのですね。
私と食事をしたらきっと倒れるかな。(笑)
今日は昼からの更新ですね。
私も朝になるまで気づかなかったです。
この頃、寝しなに処方された薬がちょっと効きすぎかも。
のどが慢性的に腫れているのです。筋肉を緩める薬が眠くなる。
すーさんは、食事を気をつけなければいけないのですね。
私と食事をしたらきっと倒れるかな。(笑)
Posted by 京男 at 2007年12月19日 16:50
こんばんは!
どれも美しい写真ですね~♪
修学院離宮に行きたくなりました(^^
どれも美しい写真ですね~♪
修学院離宮に行きたくなりました(^^
Posted by ぱんず
at 2007年12月19日 17:35
at 2007年12月19日 17:35★京男さん、こんいちは
朝はバタバタとしていました。その上にメンテとは・・・
余り沢山食べていないつもりなんですがね・・・
京男さんと食事する機会があったら、その食べぷりをつまみに飲みます。
これがいけない・・・(^。^;;
朝はバタバタとしていました。その上にメンテとは・・・
余り沢山食べていないつもりなんですがね・・・
京男さんと食事する機会があったら、その食べぷりをつまみに飲みます。
これがいけない・・・(^。^;;
Posted by すー at 2007年12月19日 18:06
★ ぱんずさん、こんにちは
この池も谷をせき止めて作った・・・その発想がすごいですよね。
周りに見える景色もお庭の一部という考えかたもすごいですね。
この池も谷をせき止めて作った・・・その発想がすごいですよね。
周りに見える景色もお庭の一部という考えかたもすごいですね。
Posted by すー at 2007年12月19日 18:08
こんばんわ
すーさんは日本酒党ですか? 好物を減らすのは大変だけど
まだまだ先のながーい人生、くれぐれも 気をつけて、
退職頃につけがまわってきますから、、
すーさんは日本酒党ですか? 好物を減らすのは大変だけど
まだまだ先のながーい人生、くれぐれも 気をつけて、
退職頃につけがまわってきますから、、
Posted by 花かんざし
at 2007年12月19日 19:27
at 2007年12月19日 19:27★ 花かんざしさん、おはようございます。
ありがとうございます。
私は、普段は焼酎とウイスキーです。そう、気をつけなければね。退職後にやりたいことが沢山あるので!
ありがとうございます。
私は、普段は焼酎とウイスキーです。そう、気をつけなければね。退職後にやりたいことが沢山あるので!
Posted by すー at 2007年12月20日 04:16
今晩は~ すーさん!
まだ・・こんな中には入ってないんだーーー
素晴らしい庭ですね・・・そして 建築の隅々に張り
巡らされた神経が、、ホントに私たちの先人の偉大
さに頭が下がります
すーさん!いい視点で捉えているよな~。
空気感も・・・(笑い) オマケの1枚もいいし・・・
ーーー「木守り、柿」。
まだ・・こんな中には入ってないんだーーー
素晴らしい庭ですね・・・そして 建築の隅々に張り
巡らされた神経が、、ホントに私たちの先人の偉大
さに頭が下がります
すーさん!いい視点で捉えているよな~。
空気感も・・・(笑い) オマケの1枚もいいし・・・
ーーー「木守り、柿」。
Posted by 風 at 2007年12月20日 18:38


