伏見人形・鐘馗さん

すー

2007年01月24日 04:50

1月24日(水)

鐘馗さん(しょうきさん)は、町家の小屋根(こやね)に祀られる魔除けの神さま

『鐘馗さんの由来』
伝承では、「玄宗皇帝は病に伏して夢をみた。」熱で苦しむ枕もとに「虚」、「耗」という小鬼が現れ、
楊貴妃の香袋と笛を盗んで行こうとしていた。誰かいないのか!と大声で叫ぶと、どこからともなく破帽子をかぶり角帯をつけ革靴をはいたひげ面の大男が現れ、あっという間に鬼を食べてしまったという。
小鬼より怖い形相でたつその者の正体を問うと、「私は終南山の鐘馗と申します。科挙の試験に失敗し、国に帰るのを恥じて自らの命を絶ちましたが、帝に手厚く葬られました恩で鬼を退治するために参りました。」 夢から覚めた皇帝の病は不思議にもすっかり治っていた。そこで、絵師に命じて夢でみたままの鐘馗の姿を描かせ、災厄を祓う守り神とした。とありました。
鐘馗はこうした伝承から人々の間で邪悪なものや疫病から家を守る魔除けの神として信じられるようになったようです。

こんな話が京都では伝えられています。
『江戸時代、京都の、ある家の奥方が原因不明の病で伏していた。手を尽くしても回復しないのに困り果てた医者は、ある日隣の屋根に鬼瓦が載っているのに気付く。もしかしたらこの病は鬼瓦で除けられた災いがこちらに降りかかっているためかもしれない。でもお向かいの鬼瓦を降ろしてくれとは言えない。あれこれ考えた末、深草の瓦職人に鐘馗像を作ってもらい鬼瓦と睨みあう位置に据えたところ、たちまち病は全快した』
また、お向かいに鬼瓦がある家の場合には、鐘馗さんを正面から向かい合うように据えます。ところが、お向かいに既に鐘馗さんが載っている時は、お互い睨み合うことがないよう目線をはずして据えたり、鐘馗さんの睨みを笑い飛ばすという意味で代わりにお多福さんをのせるとのことです。 近所の人間関係を保ちつつも鬼瓦によって除けられた災いが我が家に降りかからないよう、屋根に鐘馗像という庶民の知恵というところでしょうか。
いずれにしても、角を立てずに円滑な人間関係を保つ「はからい」ですね。また、家の鬼門に据えたり、お隣さんとの関係で方位のよくない場所に上げるのは、むしろ災い封じの意味合いのようです。
温かみと、伝統の技から醸される高貴さは見る者の心に、いにしえへの憧れと懐かしを感じさせてくれるような気がきます。

 このあたりは、京男さんが以前紹介していましたね
(勝手にアドレスを紹介させていただきました。)
確か、京男さんも書かれていたような気がしますが、このお多福さんを是非見つけてみたいものです。

殆ど人からの受け売りで申し訳ありません。^^;

            
                  伏見区で見かけた屋根の上の「鐘馗さん」

            
                  酒どころの伏見らしい、「杉玉と鐘馗さん」

そう、上記説明の中の「深草の瓦職人に鐘馗像を作ってもらい・・・・」云々の「深草の瓦職人」が伏見
人形を最初に作ったとの節もあります。深草の地と伏見稲荷大社はお隣どうしですから。
ということで、伏見人形の「鐘馗さん」です。
今回はこちらの、伏見人形の「鐘馗さん」の紹介がメインだったのですが、どうも逆転してしまったよう
ですがいいとしますか?

            

      


「過去に紹介した伏見人形の履歴」

匠の伝承「伏見人形」Windsに投稿したもの
伏見人形の由来などを説明しています


伏見人形「ししのり狐


伏見人形「帳もち大黒」、「そろばん夷」


伏見人形「梅持ち天神


伏見人形「立ち雛




おまけの一枚

酒粕
さすが、酒どころ伏見では、酒粕が店先にこの時期には普通に売られています。もしかしたら、日本中どこでも売っていたりして(^_^;)

      

      

      


「今日は何の日」

24日(水) 大安 一白 [旧暦十二月六日]

【初愛宕】
この日、火の神である「火之伽具土神(ひのかぐつちのかみ)」が祀られる京都愛宕神社で祭事が行われます。この神社で配られる「火廼要鎮」のお札は、火難除けの定番アイテム。
ちなみに愛宕山には、眷属数や知名度から日本を代表する天狗といえる愛宕山太郎坊天狗が止宿したと伝わっています。
この「火廼要鎮」のお札、昨年に私もいただいてきまして、何年ぶりかに新しいものに替わりました。

【全国学校給食週間】(~30日)
1946年(昭和21年)、旧文部省により12月24日が「学校給食記念日」として制定されていましたが、1月の24日から30日までをこの週間としています。学校給食の普及をめざした行事が行われます。


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