バスツアー旅行日誌 第七弾「下呂温泉・夕食」

すー

2013年10月19日 04:36

昨日(10/18)の朝も冷え込みました。急に掛け布団がお友達に・・・たっぷりとかぶり寝ています。しかし、こんなに急に寒くならなくとも、もっとゆっくりと徐々に下がってほしいものです。最高気温も、何とかやっと20℃まで上がりました。
 そんな昨日、いつものように散歩に出かけ、先月の台風で水没した宇治川河川敷の野球グランドを見かけたのですが、まだ、復旧工事をしていました。そろそろ最終段階というところでしたが、重機が何台も入り、流れ込み堆積した土をかき集め、ダンプカーで運び出し、整地をしていました。
こんな作業を1ヶ月近く行っています。最初は、少年野球の父兄などが手作業で行っていましたが、こんなやり方ではということで、重機の投入となったようですね。このお金はどこから出るのかな?何てどうでもいいことを考えながらの散歩でした。多分、これだけの重機が入り、何日も作業している訳ですから少年野球の父兄のポケットマネーで出せる額では無いと思うのですが・・・
今日は雨です。またまた、台風が近づいてきています。今度のも大型のようです。台風26号で大きな被害の出た伊豆大島が心配になります。今年は想定外なことが多すぎますので!

さてさて、激安バスツアーの続きです。引きのばしが凄いですねm(_ _)m
激安ツアーなので、夕食は、そんなに期待をしていなかったのですが・・・それなりに美味しくいただきました。
豪華という訳ではありませんでしたが、味付けも薄味で量的にも私には十分でした。
食べ物の写真はあまり撮影をしないのですが、とりあえず抑えましたので登場ということで・・・

妻は蕎麦アレルギーなので、蕎麦の替わりににゅうめんに変更してもらいました。食事スタート前に確認して対応してくれるところが嬉しいですね(今は普通か!)。

そうそう、隣の席に同じツアーの香港からの参加者の3人が座られました。
食事中に鮎の塩焼きが出てきて、どうやって食べるのだろうとかと? 戸惑っていました様子だったので、私が鮎を頭からかぶりつき、こうやって食べるのだと見本を見せると、リーダー的な1人が、妻の食べている鮎の塩焼きを指さします。妻は鮎を箸でほぐして食べていたので!。そこで、私はあの食べ方はバツと腕でバツサインを出すと、納得したようで、3人が同じように鮎の塩焼きを頭から食べ始めました。これには両方ともニコニコでしたね。その後は、旅館の中でも、見学先でもすれ違う食べに大きな声であいさつを交わすようになりましたね。言葉は通じないのですが・・・

そんなこんなでアルコール飲料も含めて美味しく、楽しくいただきました。(^_^)ニコニコ


水明館の夕食「オープンキッチンでの和洋会席)

【神無月 献立】


先附:江胡麻豆腐


凌ぎ:炙り鳥賊と甘海老の握り


椀替:飛騨産雪化粧南瓜入り鱶鰭スープ


造里:鯛、サーモン


焼肴:子持ち鮎塩焼


合肴:冷蕎麦 とろろ芋


強肴:国産牛ロースのステーキ


御飯:赤出汁、香の物


水物:抹茶のゼリー




昔の旅館の夕食と言ったら、これでもか、これでもかという食べられないほどの量・品数がだされることが多かった。
それが贅沢・豪華とされていたのようでした。残すことが多かったです。
最近は、こんな感じで嬉しいですね。

水明館での朝食はバイキング形式でした。
私は和食を中心に、い~やあああ、一杯食べました。バイキングはついつい食べすぎますね。



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「2013美工作品展」選抜展


■「2013美工作品展」選抜展
■開催日時:10月16日(水)~27日(日) 午前11:00~午後5時
        月曜休館
■開催場所:堀川御池ギャラリー
       京都市市営地下鉄「二条城前」駅下車(2番出口)南東へ徒歩1分・市バス「堀川御池」下車すぐ
■主  催:京都市立銅駝美術工芸高等学校





「今日は何の日」

19日(土) 大安 [旧暦九月十五日・望]

【晩翠忌】
『荒城の月』の作詞で知られる、詩人で英文学者の土井晩翠(ばんすい)の命日。

【日ソ国交回復の日】
1956年(昭和31年)のこの日、クレムリンにて「日ソ共同宣言」の調印がブルガーニン首相と鳩山一郎首相らにより行われた。これにより外交関係が回復。

【ブラックマンデー】
1987年(昭和62年)のこの日、ニューヨーク株式市場を皮切りに、各国の株式市場にて株価が暴落、空前の下落率を記録。なお、この日は月曜日であった。

【べったら市】(~20日)
東京・日本橋に所在する恵比須神社の市。大伝馬町、通旅籠町周辺で大根を麹に漬けたべったら漬の市が多く見られる。


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