仙洞御所(せんとうごしょ)参観
12月16日(日)
昨日(12/15)は、寒い一日でしたが、宮内庁管理の仙洞御所(せんとうごしょ)と修学院離宮を参観させていただきました。妻と二人のお出かけ。希望は紅葉の綺麗な11月の後半だったのですが、何せ1日限定2回の参観。1回の人数が約40名。ですから一日80名ほど。全国から申込がありますので、中々、希望の日、それも土日は無理ですね。ハガキ1枚に4名を名を連ねるとなると、1回の当選ハガキは10枚。1日20枚・・・・それは最も人気のある紅葉シーズンは当たりませんね。
ということで、昨日15日に何とか最申込で参観でした。
わずか1本でしたが、カエデが真っ赤に紅葉して迎えてくれました。感動の1本でした。他の参観者の方々も記念写真の嵐でした。
正確な表現ではありませんが、仙洞御所の場所を少し説明しておきます。京都御所のいっかくに位置します。
仙洞御所をパンフレットより少しご紹介しておきます。
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仙洞御所とは,皇位を退かれた天皇(上皇、院などといわれる)の御所である。後水尾上皇(ごみずのお)の御所として江戸時代初期の寛永7年(西暦1630年)に完成した。それと同時にその北に接して東福門院(後水尾上皇の皇后,将軍徳川秀忠の娘和子)の女院御所も建てられた。古くは内裏のように一定の場所にあったわけでもなく、また必ず置かれたわけでもないが、後水尾上皇以来現在の地すなわち京都御所の東南に定まった。後水尾上皇が御存命の間に三度焼失し、その都度再建されてきたが、以後、霊元、中御門、桜町、後桜町、光格の五代の上皇の仙洞御所として使用された。嘉永7年(1854年)の大火で京都御所とともに焼失したのを最後に、ちょうどその時上皇も女院もおられなかったこともあり造営されないままとなった。そのため、現在の仙洞御所には、醒花亭(せいかてい)、又新亭(ゆうしんてい)の二つの茶室以外に御殿等の建物は全くなく、東側いっぱいに南北に展開する雄大な庭園が往時の面影を残しているだけである。築地塀は安政2年(1855年)、京都御所と共に建造されたものである。
大宮御所とは、皇太后の御所をいう。現在、築地塀内北西隅にある大宮御所は、慶応3年(1867年)に英照皇太后(孝明天皇の女御)のために女院御所の跡に造営されたものである。英照皇太后が東京に移られた後は、御常御殿のみを残して整理され、現在に伝えられている。
庭園は、仙洞御所の作事奉行であった小堀遠州が寛永7年(1630年)の御所の完成に引き続いて作庭したもので、古図によれば仙洞・女院御所とも石積みの直線的な岸辺を有する斬新な感覚の広大な池をもっていたようである。しかし、改修拡張等により遠州当時の遺構は南池東岸の一部にわずかに認められるにすぎない。延享3~4年(1746~1747年〉にかけて女院御所の庭園(北池)と仙洞御所の庭園(南池)が掘割(ほり)でつながれた。
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パンフレットより

御車寄


待合室(今回一緒に見学された人たち)

御常御殿と南庭

北池

北池

洲浜

男滝

南池

醒花亭(せいかてい)

醒花亭

醒花亭

醒花亭

氷室

洲浜に残るもみじ

洲浜に残るもみじ

又新亭(ゆうしんてい)
「今日は何の日」
16日(日) 大安 三碧 [旧暦十一月七日]
【電話の日】
1890年(明治23年)のこの日、東京・横浜間にて日本で初めての電話交換事業が開始されたことを記念しています。
【紙の記念日】
1875年(明治8年)のこの日、元幕臣の渋沢栄一が設立した東京の抄紙会社が営業運転を開始したことによります。王子製紙の前身となります。
12月16日(日)
昨日(12/15)は、寒い一日でしたが、宮内庁管理の仙洞御所(せんとうごしょ)と修学院離宮を参観させていただきました。妻と二人のお出かけ。希望は紅葉の綺麗な11月の後半だったのですが、何せ1日限定2回の参観。1回の人数が約40名。ですから一日80名ほど。全国から申込がありますので、中々、希望の日、それも土日は無理ですね。ハガキ1枚に4名を名を連ねるとなると、1回の当選ハガキは10枚。1日20枚・・・・それは最も人気のある紅葉シーズンは当たりませんね。
ということで、昨日15日に何とか最申込で参観でした。
わずか1本でしたが、カエデが真っ赤に紅葉して迎えてくれました。感動の1本でした。他の参観者の方々も記念写真の嵐でした。
正確な表現ではありませんが、仙洞御所の場所を少し説明しておきます。京都御所のいっかくに位置します。
仙洞御所をパンフレットより少しご紹介しておきます。
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仙洞御所とは,皇位を退かれた天皇(上皇、院などといわれる)の御所である。後水尾上皇(ごみずのお)の御所として江戸時代初期の寛永7年(西暦1630年)に完成した。それと同時にその北に接して東福門院(後水尾上皇の皇后,将軍徳川秀忠の娘和子)の女院御所も建てられた。古くは内裏のように一定の場所にあったわけでもなく、また必ず置かれたわけでもないが、後水尾上皇以来現在の地すなわち京都御所の東南に定まった。後水尾上皇が御存命の間に三度焼失し、その都度再建されてきたが、以後、霊元、中御門、桜町、後桜町、光格の五代の上皇の仙洞御所として使用された。嘉永7年(1854年)の大火で京都御所とともに焼失したのを最後に、ちょうどその時上皇も女院もおられなかったこともあり造営されないままとなった。そのため、現在の仙洞御所には、醒花亭(せいかてい)、又新亭(ゆうしんてい)の二つの茶室以外に御殿等の建物は全くなく、東側いっぱいに南北に展開する雄大な庭園が往時の面影を残しているだけである。築地塀は安政2年(1855年)、京都御所と共に建造されたものである。
大宮御所とは、皇太后の御所をいう。現在、築地塀内北西隅にある大宮御所は、慶応3年(1867年)に英照皇太后(孝明天皇の女御)のために女院御所の跡に造営されたものである。英照皇太后が東京に移られた後は、御常御殿のみを残して整理され、現在に伝えられている。
庭園は、仙洞御所の作事奉行であった小堀遠州が寛永7年(1630年)の御所の完成に引き続いて作庭したもので、古図によれば仙洞・女院御所とも石積みの直線的な岸辺を有する斬新な感覚の広大な池をもっていたようである。しかし、改修拡張等により遠州当時の遺構は南池東岸の一部にわずかに認められるにすぎない。延享3~4年(1746~1747年〉にかけて女院御所の庭園(北池)と仙洞御所の庭園(南池)が掘割(ほり)でつながれた。
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パンフレットより

御車寄


待合室(今回一緒に見学された人たち)

御常御殿と南庭

北池

北池

洲浜

男滝

南池

醒花亭(せいかてい)

醒花亭

醒花亭

醒花亭

氷室

洲浜に残るもみじ

洲浜に残るもみじ

又新亭(ゆうしんてい)
「今日は何の日」
16日(日) 大安 三碧 [旧暦十一月七日]
【電話の日】
1890年(明治23年)のこの日、東京・横浜間にて日本で初めての電話交換事業が開始されたことを記念しています。
【紙の記念日】
1875年(明治8年)のこの日、元幕臣の渋沢栄一が設立した東京の抄紙会社が営業運転を開始したことによります。王子製紙の前身となります。
この記事へのコメント
おはようございます。
春のシーズンもいいんでしょうね。
こういうところに身を置くと、時間の流れがゆったりするんじゃないですか。この頃、そういう時間は貴重。
もう今年も後わずかですね。
春のシーズンもいいんでしょうね。
こういうところに身を置くと、時間の流れがゆったりするんじゃないですか。この頃、そういう時間は貴重。
もう今年も後わずかですね。
Posted by 京男 at 2007年12月16日 06:32
★京男さん、おはようございます。
そう、春の桜のシーズンもいいそうです。
ゆっくりと腰掛けて見たいですね。この参観はそれができません。後ろから皇宮警察の方が着いてくるので・・・
そう、春の桜のシーズンもいいそうです。
ゆっくりと腰掛けて見たいですね。この参観はそれができません。後ろから皇宮警察の方が着いてくるので・・・
Posted by すー at 2007年12月16日 09:11
すーさん おはよう・・
「仙洞御所」・・・醒花亭・又新亭の二つの茶室!
やはり見事なものですね・・・
また ため息が出てしまいますよ (笑)
「仙洞御所」・・・醒花亭・又新亭の二つの茶室!
やはり見事なものですね・・・
また ため息が出てしまいますよ (笑)
Posted by 風 at 2007年12月17日 09:18