「梅雨の名花」紫陽花は、複雑で神秘的な花

2024年07月06日

Posted by すー at 03:58 Comments( 3 ) 花(初夏)
昨日(7/5)も本当に暑い、蒸し暑い猛暑日となりました。私の住む地域では熱中症警戒アラートが発令されて不要不急の外出は避けるようにと何度も携帯が鳴り響きます。そんな暑さなので妻の助言を聞き入れて植物園行を中止し、散髪と銀行にでした。銀行のキャッシュコーナーでは、少ない稼ぎの生活費を下ろしました。新札が出てくるのかと期待したのですが、残念ながら旧札でした。もう一つの銀行にも行きお金を下ろしましたがこちらも旧札でした。妻に、旧札だったといいながら渡すと、こんな田舎では新札などまだまだ出回らないと一括されてしまいました。最もですね!
散髪は待ち時間ゼロで終了で良かったのですが、そこから家まで約30分歩いて帰りました。日傘を差しながらでしたが、これなら植物園行と変わらないと、溶けそうでした。干からびそうでした。
午後にはこの暑い、蒸し暑いのに座椅子の下見にと妻と二人で自転車で出かけ、ゼイゼイいいながら戻ってきました。尋常な暑さでは無いですね。

さて、昨日は青空の広がる一日でしたが、今は梅雨の最盛期ですね。暑さも心配ですが、大雨も心配となります。梅雨の名花と言えば紫陽花を一番に思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。そこで、出しそびれてお蔵入りしそうな紫陽花の登場です。
紫陽花の花には、装飾花と真花(しんか/両性花)があります。紫陽花の花房の1つひとつは、中心部分に密集した真花と周囲を取り巻く4~5枚の大きな“花びらのようなもの”で構成されています。
花びらのようなものは装飾花で、ガク片が変化したものです。これは花粉を運ぶ昆虫を引き寄せるために発達したと言われていますが、ガク片なので通常は種が育ちません。その装飾花が大きくて綺麗で特徴的な2種の登場です。
◇アジサイ・ブラウマイゼ

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◇アジサイ・ムーブ
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「梅雨の名花」紫陽花は、本当に複雑で神秘的な花ですね!

今日は、二十四節気のひとつ「小暑」ですね。
この前後に梅雨が明けて蓮の花が咲き始めると言われますが、梅雨は今が本番の状態ですね!




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すーさんの「撮植(さつしょく)日記」
↑気ままに撮影した植物を掲載しています。よかったら見てやってください。
 ご意見をいただければ最高です。
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【今日は何の日】

6日(土) 赤口[旧暦六月一日・朔]

【小暑】
二十四節気のひとつで、この前後に梅雨が明けて蓮の花が咲き始める。
夏の太陽が照りつけ日増しに暑さが本格的になる。

【サラダ記念日】
1987年(昭和62年)に俵万智が発表した歌集『サラダ記念日』(河出書房新社)の一首から生まれた記念日。

【公認会計士の日】
1948年(昭和23年)のこの日、公認会計士法が制定されたことを記念し、1990年(平成2年)に日本公認会計士協会が制定。

【ゼロ戦の日】
1939年(昭和14年)に海軍機・零式艦上戦闘機(ゼロ戦、ゼロファイター)の試作機の試験飛行がはじまった。
正式採用は1940年(昭和15年)、最大速度は時速565kmであった。
ちなみに零式という名称は、正式採用された1940年が紀元節の年号で皇紀2600年だったため、その末尾の零(ゼロ)を取って名付けられた。

【ピアノの日】
1823年(文政6年)にオランダから軍医としてやってきたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが
初めて日本にピアノを持ちこんだ。
そのピアノは萩藩の御用商人・熊谷五右衛門義比に贈られ、現在は萩の熊谷美術館に所蔵されている。

【入谷朝顔市】(~8日)
台東区の「恐れいりやの鬼子母神」で知られる真源寺(入谷鬼子母神)で開かれる江戸下町の初夏の風物詩。
様々な種類の朝顔の鉢が並べられ、多くの人で賑わう。

【国際協同組合デー】(7月第1土曜日)
1894年(明治27年)に創立された国際協同組合が協同組合運動の発展と、より良い生活を営むために互いに協力し合おうと1932年(昭和7年)の世界大会で制定。