12月6日(水)
昨日(12/5)の朝も寒かったです。川の土手では草たちがまっ白く霜が降りていました。
オープンカー通勤のときに見かけた景色ですが、そんな悠長なことを言っている場合ではなく、指先の感覚がなくなりジンジンとしています(おかしい、感覚がないのにジンジンは?)、それに耳がちぎれるような痛さです。ちょっと大げさなかな?気分的にはそんな感じです。
昨日の満月も綺麗に見えましたね!。お酒が美味しかったです( ^_^)/□☆□\(^_^ )
11月の終わりにカメラ片手にぶらりと散歩にでかけて、地元リポートです(ちょっと大げさかな?)。
桃山御陵
ここ桃山御陵は、伏見城の城跡を天皇陵に転用したものです。明治天皇を祀った伏見桃山陵(伏見城本丸跡)、昭憲皇太后を祀った伏見桃山東陵(伏見城名護屋丸跡)があります。

長く続く砂利の参道

誰もいないで静かな道が続きます

明治天皇を祀った伏見桃山陵

石段の上から、向島方面の眺め

この石段約227段だったと思います。数えながら上がったのですが数に自信はありません。
この石段は、時々運動クラブのトレーニングに利用されているのを見かけます。
私など、歩いてですが、いっきに上がると息が切れます。
次に訪れたのが、御香水で有名な、「御香宮」
御香宮は、日本第一安産守護之大神として広く崇められています。神功皇后を主祭神として仲哀天皇応神天皇他六柱の神を祭ります。初めは、『御諸神社』と称されましたが、平安時代貞観4年(862)9月9日に、この境内から「香」の良い水が涌き出たので、清和天皇よりその奇端によって、『御香宮』の名を賜ったとのことです。
ここ御香宮は、豊臣秀吉公が伏見城を築いた時に、鬼門の護りとして大亀谷へ移動されました。しかし、徳川家康公が今のこの地に戻し再建した神社になります。重要文化財の本殿もその時のモノで、桃山風の豪華な飾り彫刻が大変見事なものです。

表門(国指定重要文化財)
大手筋に面した見事な表門、こちらも家康十一男・水戸徳川の頼房の寄進によるもので、伏見城の大手門だったと伝えられています。正面4個の蟇股が楽しいどっしりとした門構えは、伏見桃山を代表するものです。
拝殿
(京都府指定文化財)

寛永2年(1625)、徳川頼宣(紀州徳川家初代)の寄進にかかる。桁行七間(けたゆき七げん)、梁行三間(りょうゆき三げん)、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺の割拝殿(わりはいでん)。正面軒唐破風(のきからはふ)は、手の込んだ彫刻によって埋められています。特に五三桐の蟇股や大瓶束(たいへいづか)によって左右区切られている彫刻は、向かって右は『鯉の瀧のぼり』、すなわち龍神伝説の光景を彫刻し、左はこれに応ずる如く、琴高仙人(きんこうせんにん)が鯉に跨って瀧の中ほどまで昇っている
光景を写しているとのことです。
平成九年6月に半解体修理が竣工し極彩色が復元されました。


撮影をしたのが11月の終わりでしたので、まだ七五三のお参りの家族ずれでにぎわっていました。
ここには写っていませんが、記念写真の写真屋さんも大忙しでした。
お宮参りも多かったです。下の娘のお宮参りはここでさせていただきました。



御香水

当社の名の由来となった清泉で「石井の御香水」として、伏見の七名水の一つで、徳川頼宣、頼房、義直の各公は、この水を産湯として使われたとのこと。
環境庁より京の名水の代表として『名水百選』にも認定されています。
ソテツ


ソテツは、南方系の裸子植物で、京都付近では冬期に覆いを施す必要がありますが、この御香宮神社のソテツは覆いなしで越冬、開花結実しており、ソテツの生育域を考えるうえで重要な資料とのことです。
昭和61年6月2日に京都市登録天然記念物として登録されています。
「今日は何の日」
6日(水) 先勝 六白 [旧暦十月十六日]
【サンタ・クロース・デー】
サンタクロースのモデルとなったニコラス司教の命日になります。この日は聖ニコラウス祭がおこなわれるとのことです。
【シンフォニー記念日】
1914年(大正3年)のこの日、ベルリンから帰国した山田耕筰作曲による初の和製交響曲『かちどきと平和』が帝国劇場で発表されました。『さくらさくら』『赤とんぼ』『ペチカ』などの童謡も彼の作曲作品になります。
【姉の日】
作家の畑田国男氏が1992年(平成4年)に制定したもの。9月6日の「妹の日」と対になる健気で犠牲的精神を持つ日。
【黄門忌】
水戸徳川家2代藩主、「水戸黄門」こと徳川光圀の命日です。享年72歳。
諸国から学者を招聘して『大日本史』の編纂に着手したことで知られています。
名君の誉れ高く、権中納言の唐名から水戸黄門と呼ばれていました。
昨日(12/5)の朝も寒かったです。川の土手では草たちがまっ白く霜が降りていました。
オープンカー通勤のときに見かけた景色ですが、そんな悠長なことを言っている場合ではなく、指先の感覚がなくなりジンジンとしています(おかしい、感覚がないのにジンジンは?)、それに耳がちぎれるような痛さです。ちょっと大げさなかな?気分的にはそんな感じです。
昨日の満月も綺麗に見えましたね!。お酒が美味しかったです( ^_^)/□☆□\(^_^ )
11月の終わりにカメラ片手にぶらりと散歩にでかけて、地元リポートです(ちょっと大げさかな?)。
桃山御陵
ここ桃山御陵は、伏見城の城跡を天皇陵に転用したものです。明治天皇を祀った伏見桃山陵(伏見城本丸跡)、昭憲皇太后を祀った伏見桃山東陵(伏見城名護屋丸跡)があります。

長く続く砂利の参道

誰もいないで静かな道が続きます

明治天皇を祀った伏見桃山陵

石段の上から、向島方面の眺め

この石段約227段だったと思います。数えながら上がったのですが数に自信はありません。
この石段は、時々運動クラブのトレーニングに利用されているのを見かけます。
私など、歩いてですが、いっきに上がると息が切れます。
次に訪れたのが、御香水で有名な、「御香宮」
御香宮は、日本第一安産守護之大神として広く崇められています。神功皇后を主祭神として仲哀天皇応神天皇他六柱の神を祭ります。初めは、『御諸神社』と称されましたが、平安時代貞観4年(862)9月9日に、この境内から「香」の良い水が涌き出たので、清和天皇よりその奇端によって、『御香宮』の名を賜ったとのことです。
ここ御香宮は、豊臣秀吉公が伏見城を築いた時に、鬼門の護りとして大亀谷へ移動されました。しかし、徳川家康公が今のこの地に戻し再建した神社になります。重要文化財の本殿もその時のモノで、桃山風の豪華な飾り彫刻が大変見事なものです。

表門(国指定重要文化財)
大手筋に面した見事な表門、こちらも家康十一男・水戸徳川の頼房の寄進によるもので、伏見城の大手門だったと伝えられています。正面4個の蟇股が楽しいどっしりとした門構えは、伏見桃山を代表するものです。
拝殿
(京都府指定文化財)

寛永2年(1625)、徳川頼宣(紀州徳川家初代)の寄進にかかる。桁行七間(けたゆき七げん)、梁行三間(りょうゆき三げん)、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺の割拝殿(わりはいでん)。正面軒唐破風(のきからはふ)は、手の込んだ彫刻によって埋められています。特に五三桐の蟇股や大瓶束(たいへいづか)によって左右区切られている彫刻は、向かって右は『鯉の瀧のぼり』、すなわち龍神伝説の光景を彫刻し、左はこれに応ずる如く、琴高仙人(きんこうせんにん)が鯉に跨って瀧の中ほどまで昇っている
光景を写しているとのことです。
平成九年6月に半解体修理が竣工し極彩色が復元されました。


撮影をしたのが11月の終わりでしたので、まだ七五三のお参りの家族ずれでにぎわっていました。
ここには写っていませんが、記念写真の写真屋さんも大忙しでした。
お宮参りも多かったです。下の娘のお宮参りはここでさせていただきました。



御香水

当社の名の由来となった清泉で「石井の御香水」として、伏見の七名水の一つで、徳川頼宣、頼房、義直の各公は、この水を産湯として使われたとのこと。
環境庁より京の名水の代表として『名水百選』にも認定されています。
ソテツ


ソテツは、南方系の裸子植物で、京都付近では冬期に覆いを施す必要がありますが、この御香宮神社のソテツは覆いなしで越冬、開花結実しており、ソテツの生育域を考えるうえで重要な資料とのことです。
昭和61年6月2日に京都市登録天然記念物として登録されています。
「今日は何の日」
6日(水) 先勝 六白 [旧暦十月十六日]
【サンタ・クロース・デー】
サンタクロースのモデルとなったニコラス司教の命日になります。この日は聖ニコラウス祭がおこなわれるとのことです。
【シンフォニー記念日】
1914年(大正3年)のこの日、ベルリンから帰国した山田耕筰作曲による初の和製交響曲『かちどきと平和』が帝国劇場で発表されました。『さくらさくら』『赤とんぼ』『ペチカ』などの童謡も彼の作曲作品になります。
【姉の日】
作家の畑田国男氏が1992年(平成4年)に制定したもの。9月6日の「妹の日」と対になる健気で犠牲的精神を持つ日。
【黄門忌】
水戸徳川家2代藩主、「水戸黄門」こと徳川光圀の命日です。享年72歳。
諸国から学者を招聘して『大日本史』の編纂に着手したことで知られています。
名君の誉れ高く、権中納言の唐名から水戸黄門と呼ばれていました。